2024年6月 会長挨拶「歴史総合」とコペル君

 ご存じのように、2022年度から「歴史総合」の授業が高校の教育現場で実践されています。日本史と世界史が融合されるとともに、歴史の「知識」ではなく「歴史的な見方・考え方」を身につけることが目標とされているのですから、高校教育の現場でこの新設科目を担当している先生方の苦労のほどがしのばれます。「歴史総合」が掲げるこの目標を知ってただちに頭に浮かんだのは、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』でした。岩波文庫の累計販売数ランキングで歴代1位だそうですから、歴史学会の会員のみなさんのなかにも、この作品をすでに読んだ人がいるのではないかと思います。
 この作品は、1935〜1937年に刊行された『日本少国民文庫』全16巻の最後を飾る配本でした。軍国主義が支配的になり、社会主義運動が激しく弾圧され、言論・出版の自由がいちじるしく制約されてゆく時勢のなかで、少年少女に未来への希望を託すべく計画されたのが『日本少国民文庫』でした。『君たちはどう生きるか』は、当初は作家の山本有三が執筆する予定だったのですが、山本が重い眼病にかかったために、『文庫』の編集主任で哲学の勉強をしていた吉野源三郎が書くことになったのです。そのおかげで私たちは、アカデミズムの世界からはけっして生まれない名著を手にすることになったわけです。
 『君たちはどう生きるか』は、「コペル君」というあだ名の中学2年生の純一君とその叔父さんとのやりとりを中心に話が展開します。「コペル君」というあだ名は、純一君が「コペルニクス風の考え方」ができたのを知った叔父さんが純一君を「コペルニクス君」と呼んだことに由来します。では、「コペルニクス風の考え方」とは何なのでしょうか。
 作品のなかで、コペル君は、叔父さんと二人で、銀座のデパートの屋上から眼下の通りを見下ろしていた時、そこに一台の自転車が走っているのを目にします。そして自分たちがそこを通っていた時にも「誰かが、この屋上から見てたかもしれない」可能性に気づきます。このような視座の転換を経て、コペル君は、「見ている自分、見られている自分、それに気がついている自分、自分で自分を遠く眺めている自分」と、「いろいろな自分」が心の中で重なりあうという新しい奇妙な経験をします。
 このコペル君の話を聞いて、叔父さんはコペル君へのノートにこう記します。「コペルニクス」のように、「自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いている」と考えるか、それとも、「自分たちの地球が宇宙の中心」と考えるか、「この二つの考え方」は、「世の中とか、人生とかを考えるときにも、やっぱりついてまわることなのだ」。
 このように、純一君が「コペル君」と呼ばれるようになったのは、純一君がコペルニクスのように自分中心のものの見方から抜け出すことができるようなったからでした。「コペルニクス風の考え方」ができることが「大人」や「一人前の人間」に必要な条件とされているのです。実際、『君たちはどう生きるか』では、「コペルニクス風の考え方」が中学2年生のコペル君の経験と思考に即して展開され、社会的・科学的認識にたどり着いたり、人間の倫理の問題が考察されたりします。
 たとえばコペル君は、自分が赤ん坊のときに飲んだ粉ミルクがオーストラリアの牛の乳からつくられて自分の口に入るまでのことを順々にたどり、自分の知らないたくさんの、多様な仕事に従事する人が介在していることに思い至って驚いてしまいます。それから自分の部屋の中にある電灯や時計や机なども、粉ミルクと同じく、そのうしろに「数えきれないほど大勢の人間」が網のようにつながっていることに気づきます。コペル君はこのつながりを「人間分子の関係、網目の法則」と呼ぶのですが、コペル君の手紙を受け取った叔父さんは、コペル君の言う「人間分子の関係」が経済学や社会学では「生産関係」と呼ばれているということをアドバイスします。
 『君たちはどう生きるか』は1930年代の少年少女を対象とした児童書です。時代を感じさせる叙述が散見されることも事実です。けれども、自分の頭で物事を考えるとはどういうことなのかを、少年少女の体験から出発してこれほど平易に説いた作品を私は知りません。私はこれまでアカデミズムの世界で生きてきた人間ですが、『君たちはどう生きるか』のような作品を自分がこれまで研究してきた歴史学の分野で書くことはできないだろうか、そんなことを夢想する今日この頃です。

2024年6月  歴史学会会長 松浦義弘