2024年10月 会長挨拶「歴史総合」と「国民的歴史学運動」

 2022年度から「歴史総合」の授業が高校の教育現場で実践されていることは、ご存知かと思います。近現代史に関して日本史と世界史が総合されるとともに、歴史の「知識」ではなく「歴史的な見方・考え方」を身につけることが目標として掲げられているのですから、日本の歴史教育の歴史に鑑みても革命的な新設科目だといってよいと思います。歴史学会では、「歴史総合」のこのような「革命性」に早くから注目し、2018年度から毎年シンポジウムを開催し、今年度のシンポジウム「『歴史的な見方・考え方』と歴史総合」は7回目の開催となります。

 とはいえ、「歴史総合」のような革命的な試みがこれまでなかったわけではありません。1950年代前半に展開した「国民的歴史学運動」がただちに思い浮かびます。この運動は、敗戦直後に『中世的世界の形成』を公刊し戦後の歴史学に大きな影響をあたえた石母田正らによって推進されたものでした。石母田は、戦前のマルクス主義が「国民という土壌に根を下ろさず、そこから隔離された」世界のなかで「スコラ的な議論」を展開して弾圧の前に潰えてしまった経験を踏まえ、そうならないために、国民からの孤立を脱し、社会に働きかける学問となすべく歴史学の改革の必要性を説きました。

 『歴史と民族の発見』(1952年)に収録された「村の歴史・工場の歴史」は、そのような考え方を表明したものであり、「国民的歴史学運動」のバイブルになりました。この論文は、「学者や教師の目の届かないところで営まれている歴史は民衆自身が書かねばならない歴史である」とし、歴史学者は「民衆自身がみずからの歴史について考え、かつ書くことを助ける」ことで既存の「歴史学の改革」を実現することを訴えるものでした。そのような歴史が「全国から現れてくるとき」はじめて、「日本の歴史学が大地に根を下ろすときである」というのです。

 多くの若い歴史家や学生が、この歴史学の改革というスローガンに魅せられ、大学を離れて工場や村に向かい、「国民的歴史学運動」を情熱的に推進しました。そこでは、既存の歴史学の実証主義的手法も再検討されました。民話や伝承の利用が模索され、村の老人や女性からの聞き取り調査がなされ、既存の歴史学で軽視されていた女性の歴史なども重視されました。この運動の成果は、民主主義科学者協会(民科)の歴史部会の機関誌『歴史評論』における「母の歴史」の特集などに結実しました。

 しかし、「国民的歴史学運動」は1953年頃から行き詰まりを見せはじめます。運動への参加がしだいに強制や義務の様相を呈していきました。決定的だったのは、1955年7月、日本共産党が六全協(第6回全国協議会)において民科が推進した「国民的歴史学運動」を「極左冒険主義」と総括したことでした。このため運動は求心力を失い、1956年に民科は解散に追い込まれることになります。こうして歴史学の孤立からの脱出と革新をもとめた「国民的歴史学運動」は、政治に翻弄され挫折することになりました(もちろんこの運動の経験は、歴史の地下水脈として枯れないで残っていると思います)。

 このように、「国民的歴史学運動」は、共産党の事実上の下部組織であった民科歴史部会が主導した運動であり、それゆえ共産党の方針転換を前に挫折を味わうことになりました。しかし同時に、「民衆自身がみずからの歴史について考え、かつ書くこと」という「国民的歴史学運動」の掲げる目標そのものが、達成が困難な高い目標であったことも挫折の無視し得ない要因であったように思えます。ひるがえって、「歴史総合」は、文部科学省の高等学校学習指導要領に基づき設置された科目であり、政治に翻弄されるリスクはあまり考えなくても良いのかもしれません。しかし、「歴史総合」が掲げる目標は依然として高く、その成否は予断を許しません。ですから、本会は今後ともその動向を注視してゆこうと思っています。そして「歴史総合」の授業実践にかかわるデータを共有し蓄積する貯水池のような存在になっていければと考える次第です。もうすぐ本年度の歴史総合シンポジウムが開催されます。関心がある方はぜひとも参加していただければと思います。

2024年10月1日  歴史学会会長 松浦義弘