2024年10月 会長挨拶 歴史総合シンポジウムに思うこと

 つい最近まで35度を超える猛暑日が続いたのが嘘だったかのように肌寒くなったり、暑さがぶり返したりと、気温の急激な変化に身体が対応しきれないと感じる今日この頃です。時節柄、みなさんも体調をくずさないように気をつけていただければ、と思います。

 去る10月5日(土)、今年度の歴史総合シンポジウムが東京経済大学国分寺キャンパスで開催されました。「『歴史的な見方・考え方』と歴史総合」がテーマでした。本会企画理事の上野信治氏(神奈川県立相模原中等教育学校)による趣旨説明に続いて、きわめて興味深く充実した報告とコメント、質疑応答がなされました。報告とコメントをされた空健太(国立教育政策研究所)、上野信治、行田健晃、白神健吾(学校法人櫻美学園都城東高等学校)、日高智彦(東京学芸大学)、小田中直樹(東北大学)の各氏、および雨の中シンポジウムに参加してくださったみなさんに、心から御礼申し上げます。

 本年度の報告を聞いてあらためて強く感じたのは、「歴史総合」の重要性です。ご承知のように、いまアメリカでは、民主党のハリス候補と共和党のトランプ候補による大統領選挙の真っ最中ですが、アメリカ社会の分断が明白になっています。自分が見聞し体験した世界で獲得した見方や考え方に合致する情報だけを受容し、それ以外の情報をフェイクニュースや「陰謀論」として拒絶するということが起こっています。この傾向はヨーロッパでも顕在化していますが、わが国でも強まってきています。このような世界の現状を考えれば、自分の「見方・考え方」を相対化することを目標のひとつとして掲げる「歴史総合」は、きわめて重要だと思います(今年度の報告では、「見方・考え方」を働かせることは、小中学校の社会科でも重視されていることが確認されました)。

 その意味で、「歴史総合」は(そして小中学校の「社会科」も)「革命的」なのですが、しかし同時に問題点もあります。問題点は主に二点あると思います。

 ひとつめは、「歴史的な見方・考え方」を獲得させるという「歴史総合」が掲げる目標そのものが、なかなか達成困難な目標だということです。かつて同じような目標を掲げた歴史教育の運動として「国民的歴史学運動」がありました(ホームページの「『歴史総合』と『国民的歴史学運動』」を参照)。この歴史学の革新をめざした運動は、表面的には共産党の方針転換という政治に翻弄されて挫折したのですが、それ以前にその目標の高さに起因する破綻が表面化しはじめていました。

 ふたつめは、明治以後の歴史学の研究体制と教育体制のズレという問題点です。明治以来、より正確には、1904年に東京帝国大学文科大学に、1907年に京都帝国大学文科大学に「支那史(学)」(のちに「東洋史学」)が設置されて以来、日本の大学での歴史研究・教育体制は、こんにちまで基本的に日本史・東洋史・西洋史の三学科制がとられてきました。他方、高等学校での歴史教育の体制は、戦後に日本史と世界史になり、さらに今回の「歴史総合」によって近現代については日本史と世界史の総合・融合が謳われるようになっています。

 以上のような大学における歴史学の研究・教育体制と「歴史総合」教育とのズレのために、「歴史総合」の教科書執筆者、大学で歴史教員養成に携わる教員、そして高校の現場で「歴史総合」を担当する教員の方々はいずれも、自らが経験した研究や教育とのギャップを感じながら、それぞれの現場で試行錯誤を繰り返しているのが現状ではないでしょうか。とりわけ、三学科制のもとで教育を受け、「歴史総合」を担当する先生方のご苦労は並大抵ではないと思います。しかしながら、現場の先生方の創意工夫によっては「歴史総合」には大きな可能性があるということも、今年度のシンポジウム報告によってあらためて確認することができました。

 高等学校における「歴史総合」の授業実践は始まったばかりです。現在は、現場の先生方の努力や力量にもっぱら依存しているのが実情ですが、それで「歴史総合」が本来の目標を達成して機能するとはとうてい思えません。いずれは、現場の授業実践のデータを共有・蓄積するだけでなく、「歴史総合」のメソッドや理論化が必要になるのではないでしょうか。歴史学会は、理事会メンバーの余力が残っていればという前提がつきますが、今後数年間は「歴史総合」の帰趨をフォローしようと考えています。皆さんもぜひご協力ください。

2024年10月20日  歴史学会会長 松浦義弘