猛暑が続いた今年の夏も、ようやく終わりを迎えようとしていますが、歴史学会の会員のみなさま、お元気でお過ごしでしょうか。
私事になりますが、先日9月11日、韓国のソウル大学で開催された第2回日韓フランス革命シンポジウムにオブザーバーのような立場で参加してきました。第1回日韓フランス革命シンポジウムは、2019年8月28日〜30日に日本(成蹊大学)で開催されたわけですから、実に6年ぶりの開催ということになります。ご承知のように、翌2020年から2023年ぐらいまで新型コロナウイルスの流行が続きました。ですから、正直なところ、2回目の日韓フランス革命シンポジウムを開催するのは難しいのではないか、と諦めておりました。そのような気持ちでいたものですから、今回、ソウル大学で2回目の日韓シンポジウムが実現することになり、これほど嬉しいことはありません。
私がソウルに向かったのは、シンポジウム前日の9月10日でした。日本側のシンポジウム報告者は全員、10日午後に仁川空港に集結し、その後リムジンバスでソウル大学構内の宿泊施設に向かうことになっていました。それに対して私は、羽田から金浦空港へのルートを選択し、地下鉄とパスを乗り継いでソウル大学に向かうことにしました。しかしこれは誤った選択でした。仁川空港発のリムジンバスの終点がソウル大学構内の宿泊施設であったのに対して、金浦空港からソウル大学構内の宿泊施設まで行くまでが複雑で、苦労と緊張の連続だったからです。
まず、金浦空港から地下鉄でソウル大学入口駅まで行くまでが一苦労でした。金浦空港から地下鉄5号線に乗ってカチ山(까치산)で2号線に乗り換えるまでは順調でした。しかしそこからソウル大学入口駅まで行くのが大変でした。ソウル大学入口駅は2号線上の駅なのですが、途中の新道林(신도림)で乗り換える必要があり、しかも乗り換えホームは階段を降りた先にありました。さらに、ソウル大学入口駅から学バスで目的の宿泊施設に行くのも単純ではありません。ソウル大学入口駅を出て、5511番のバスに乗車したのですが、目的地の宿泊施設に到達するにはソウル大学構内でいったん降車し、少し歩いた停留所で別のパスに乗り替える必要がありました。日本の大学の学バスとは違い、ソウル大学の構内には複数のパス路線が存在していたわけです。聞いてはいましたが、ソウル大学の「巨大さ」にあらためて驚かされました。そのようなわけで、宿泊施設に到着して仁川空港経由の報告者一行を目にしたときには、安堵感を覚えただけでなく、身も心も疲労困憊でした。
翌日11日、ソウル大学人文学研究院歴史研究所の主催で開催されたシンポジウムは、午前10時から午後6時ちかくまで、昼食をはさんで長時間にわたっておこなわれました。ソウル大学校歴史研究所長パク・ハン氏の開会の辞、竹中幸史氏(山口大学)の講演「民主主義と独裁のあいだ」のあと、それぞれ2つの報告と質疑応答からなる3つのセッションが続きました。第1セッションでは、ヤン・ヒヨン氏(ソウル女子大学)の報告「『革命的共和主義的女性協会』:フランス革命期の女性政治クラブと「不可能な」女性市民権」と平正人氏(文教大学)の報告「旅するブリソ」がなされました。昼食後の第2セクションは、藤原翔太氏(広島大学)の報告「ナポレオンと選挙:ポスト革命期の統治戦略」とキム・ミンチェル氏(成均館大学)の報告「フランス革命と『言論の自由』論争」、第3セクションは、ミン・ジョンギ氏(カリフォルニア大学博士課程)の「共和国の敵?:革命期サン=ドマングにおける自由有色人指導者と黒人指導者の権力闘争 1795-1796」と長島澪氏(パリ第1大学博士課程)の報告「フランス革命戦争におけるドイツ人:彼らの受け入れ場所としての軍団に注目して 1792-1794」からなっていました。
ここでは、これらの報告の内容には詳しく立ち入ることはしません。ただ、報告のタイトルからも想像されるように、選挙や政治クラブ、メディアによる言論の自由など、世論や民主的な政治文化の誕生を支える新しい諸制度と、フランス革命は一国史的な現象ではないことを示す諸問題が焦点となっていたことは確かでした。重要な問題が提起されていただけに、報告後の質疑応答や全体討論の時間が十分ではなかったことが悔やまれます。しかしながら、今回のシンポジウムにかんする韓国側の事前準備は周到なものでしたし、シンポジウム前夜の歓迎夕食会やシンポジウム当時のホスピタリティには感動しました。それまでの疲れが吹き飛びました。同時に数年後の日本でのシンポジウム開催に向けて、課題を突きつけられたような気持ちをもって帰国した次第です。
2025年9月22日 歴史学会会長 松浦義弘


