歴史学会と私(1):松浦義弘

1985年5月のある日、古代ローマ史の研究者である後藤篤子さんから頼まれて、月例研究会で報告したことがあった。フランス革命期におこった「九月の虐殺」という民衆による暴力的事件について二週間ほどにわか勉強をして、弘文堂の社屋の一室でつたない報告をしたことを覚えている。たしか、イギリス史の穂積重行先生が会長の時代であり、東洋史の小島淑男先生が質問してくれた。それが、私と歴史学会との出会いであった。それから数年後の1991年、今度もまた後藤篤子さんに誘われて、歴史学会の理事になることを引き受けていた。

そんなわけで、1991年から1996年までの六年間、阿部猛先生と故中村義先生が会長の時代に、おもに企画担当として理事を務めさせていただいた。そんなに長いあいだやっていたとは今では信じられないが、あまり苦にならなかった。まだ若くて、エネルギーがあったということなのかもしれない。しかし同時に,企画担当理事の活動を楽しんでいたことも確かであった。

当時の理事仲間には、西洋史畑だけ名前をあげても、古代ギリシア史の桜井万里子さん、イギリス史の見市雅俊さん、音楽史の上尾信也さん、それに後藤さんと、個性的な理事ばかりで、理事会や月例研究会やその後の飲み会が談論風発の場となり、「祭り」のようだった。「史料再考」をテーマとした大会も、その延長であった。ケルト美術史の鶴岡真弓さん(現多摩美術大学教授)、建築史の五十嵐太郎さん(現東北大学教授)、日本中世史の保立道久さん(現東大史料編纂所教授)、英文学の富山太佳夫さん(現青山学院大学教授)など、現在各分野の第一線で活躍している当時気鋭の研究者と事前の勉強をもとに交渉し、月例研究会や大会での報告をお願いするなど、ずいぶんと勝手に好き放題なことをやっていた。大会も今では信じられないほどの会員や一般人が参加し、盛況だった。今から振り返れば、歴史学会の「黄金時代」であったといえるかもしれない。