歴史学会と私(2):松浦義弘

歴史学会の理事を辞めて以後、歴史学会とはながらく淡い関係がつづいた。理事時代に「五十嵐報告にかんするコメント」(『史潮』新33・34合併号)を書いたり、自由論題の報告者であった深草正博(現皇學館大学教授)さんに質問したりしたことはあったが、これまで一度としてきちんとした論文を『史潮』に書いたこともなかった。月例研究会や毎年の大会からもすっかり足が遠のいていた。

そんな状態だったから、前会長の吉原健一郎先生から一度お会いしたいと丁重なお手紙をいただいたときには、どういう意味なのか、まったく想像もできなかった。吉原先生と成城大学の先生の研究室でお会いして、会長職を引き継いでほしいと言われてはじめて、手紙の意味が理解できた次第だった。会長職のお申し出があったとき、自分にその資格があるのか,ずいぶんと悩んだ。私は本学会の母体である東京教育大学の出身でもなかったし、理事を辞めていらい歴史学会とはきわめて淡い関係にとどまっていたからである。しかも、初代の和歌森太郎会長からつづく歴代の会長は研究者として立派な業績を有し、年齢的にも「長老」といってよい年齢で会長職に就いていた。

しかし吉原先生から歴史学会の事情を事細かに聞くうちに、これも何かの縁かと感じたことも確かだった。生まれてはじめて犬を飼って生活が一変してしまったことや、世界的な金融危機の勃発やアメリカ史上初の黒人大統領バラク・オバマの政権が誕生したことなど、自分をとりまく内外に大きな変化があったということもある。なにより、本会より規模の大きな史学会や歴史学研究会は海外研修などを機会に脱会してしまっていたが、歴史学会は、会員でありつづけていた。小規模学会である歴史学会の財政状態が何となく不安だったからである。こうして私は、吉原先生の話に何か因縁めいたものを感じて、数日後には歴史学会の会長職を引き受けていた。