歴史学会と私(3):松浦義弘

会長職を引き受けさせていただいてから、もうかれこれ3年がたつ。その間、いろいろなことがあり、いろいろ感じるところもあった。

事務局の問題もそのひとつである。歴史学会の事務局は、これまでは会長が勤務する大学におかれてきた。しかし私の場合、本務校に事務局をおくことが困難だったため、学外に事務局を求めることになった。幸いにも、阿部猛先生や前理事の浦井祥子さん(徳川林政史研究所研究員)などの尽力のおかげで、2008年6月に同成社の社長と契約を交わし、同社内に事務局を移転することができた。それから今日まで事務作業は、事務局員の奮闘もあってかなり順調だが、問題がすべて解決したわけではない。とりわけ、『史潮』のバックナンバーは前理事の外池昇さん(成城大学文学部教授)の研究室におかせてもらっている状態で、その保管スペースの確保が懸案となっている。

歴史学会の母体である東京教育大学がもはや存在しないという現実が会の運営にとっていかに厳しいかも、しみじみ感じている。ほうっておけば、会員の高齢化とともに会員が減少し、会は衰退に向かわざるをえない(これは財政問題ともむすびついている)。また、私が理事をやっていた時代は、理事のほとんどが東京教育大学出身者であったが、現理事には東京教育大学出身者がひとりもいない。したがって私は、当初から、当会に固有の二つの課題に対処することを運命づけられていたといえる。つまり、新しい会員を恒常的に本会にリクルートすること、そして上の世代と下の世代とを橋渡しすること、がそれである。そのために、本会をながらく担ってこられた先生方に基調講演をやっていただいたり、ブログで本会を紹介する文章を書いたりしてきたが、本会の現状を維持するにとどまっているのが実情である。

そんなわけで、まだまだ課題山積であり、残された任期中に何ができるかを考える日々である。なによりも、本会の活動を会員以外の方にも知っていただくための媒体である会誌の充実やホームページの再開・充実が必要であると考えている。